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がんと言う恐ろしい病気は、その残酷さと反比例するかのように、何気なくある日突然目の前に現れます。
定期健診で精密検査をすすめられ、検査の結果が「がんの疑いがあります。」で、入院検査。

それまであちこち体に痛いところはあったけど、自分では充分元気で健康だったつもり。家族を含めた周囲の人も、病気の心配なんかしたことも無かったし。

がんの告知は突然に・・・

現在の先端医療では検査機器の進歩により、体にメスを入れなくてもある程度の診断が可能です。精密検査の結果はほとんど告知に近いもの「末期がんだと考えられます。余命は3か月から長くても半年。」でした。

今まで普通に続いていた日常生活は、ここで音を立てて断ち切れます。本人にとっては、まずは信じられない程タチの悪い冗談か、さもなければ一刻も早く目覚めさせてほしい悪夢。
しかし受け入れるしかない現実だと分かった時に、その先の進むべき道を決めなければなりません。これも極めて残酷な選択です。

末期がんの告知は、本人も含めて行われる場合と、家族にのみ打ち明けられる場合とがあります。この段階ではその中に、がんについての詳しい知識を持っている人などいません。
だから末期がんと聞いても、頭の中のどこかには治療の可能性に対する期待感が残っています。

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せばめられる選択肢

現代医療の進化は早く、がんの治療法も日々進歩しています。手術以外にも薬物治療、放射線治療、遺伝子治療など、中には転移した進行がんにも効果がある治療法だってあります。
その内のどれかを試してみれば、今の医学なら何とかなるかもしれない、まだここで絶望するのは早過ぎます。

最も一般的な治療法は今でも手術です。がんの切除の可能性も含めて、一度患部を開いて治療を試みるケースが多いようですが、末期がんの場合周辺組織にがんが転移して、腹膜播種の状態になったり、リンパ節を通じて全く別の部位に転移している事も多いのです。
その時は患部を開いたまま何もできない、いわゆる手遅れである事を宣告されるしかありません。

その瞬間から本人と家族は、残された時間との闘いになります。手術以外の方法で治療を続けるか、療養施設か自宅でやがて訪れる死を待つか、どちらかしかありません。

もはや迷うべき時間さえ残されず、事実を速やかに受け入れるしかないのです。末期がんの告知から最期の時までは、生活の時間と空間が強い力に引っ張られるように、加速しながら過ぎ去って行きます。

いかにして最期の時を迎えるか

本人は自身の死後についても考え、身辺を整理しなければなりません。家族は本人の意思にかかわらず、あらゆる可能性を探すでしょう。そして時間は残酷なまでに早く進みます。

残された時間の使い方は、家族がいっしょにできるだけ長く過ごす事です。がんという病気は、本人だけではなく家族全員で向き合うもの。やがて最期の瞬間を迎える時は、それまで急速に流れていた時間が、嘘のようにゆっくりになって、そして停止します。

終わりに知人の体験から紹介しておきます。末期がんを告知されたその本人は、抗がん剤を含めた全ての治療を断りました。唯一痛み止めの緩和ケアだけを残して。

家族は毎日病院に見舞いに行きました。一度は自宅療養に帰りましたが、何も食べられなくなると再び病院に戻り、最後は家族の事も分からなくなって、そのまま息を引き取りました。

「何かひとの為になる事をやっていきたい。」限られた時間の中で、本人が家族に残した最期の言葉です。
がんとは、本当に残酷な病気です。